所蔵品のご紹介

宗因賛西鶴画花見西行偃息図

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二九・四×四五・四 紙本淡彩 軸装

 宗因の句は、万治元年(一六五八)刊『牛飼』に初出するが、筆蹟は晩年のもの。画に落款を欠くが、その手法から西鶴筆とされる。西行法師の歌「ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそかなしかりけれ」の上の句を用い、花を眺めすぎて首を痛めたと笑いに転じた句。人気の高い宗因の代表句である。

 西鶴(さいかく)は井原氏、別号鶴永・二万翁ほか。大坂の人。宗因門。『生玉万句』『歌仙大坂俳諧師』を刊行し、談林・宗因風俳諧を宣伝。また矢数俳諧を始め、一昼夜に二万三千五百句を成就した。宗因没後は小説に転じ、『好色一代男』『世間胸算用』などの傑作を発表した。一方、伊丹にあった宗旦の俳諧塾「也雲軒」をしばしば訪問し、愛宕祭をみて「あたご火のかはらけなげや伊丹坂」と詠んだ。また、著書『西鶴織留』巻一「津の国のかくれ里」は伊丹の造り酒屋の息子を主人公とした浮世草子で、書名どおり摂津の国の富裕な伊丹の町や、様々な文芸を楽しんだ当時の伊丹の町人の様子を生き生きと描写した。寛永十九(一六四二)〜元禄六(一六九三)



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