かきもりニュース

台柿継承プロジェクト 2008(その1 始動)

 柿衞文庫の庭に、江戸時代の漢詩人学者の頼山陽(らい さんよう)が絶賛したとされる柿の木があります。柿衞文庫の名前のいわれとなっている台柿(柿の実の形からくる呼び名で、底部に台があることからこう呼ばれています)ですが、館内にはこの2世の木が1本だけ現存しており、その種を継承していくための「台柿継承プロジェクト」が昨年スタートしました。

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 文政12年(1829年)の10月のことです。頼山陽が、同じく学者の篠崎小竹、画家の田能村竹田や高橋草坪らと箕面の紅葉狩をかねて伊丹へ来遊しました。当時、伊丹銘酒として知られた「剣菱」の醸造元坂上桐陰家で酒宴が開かれ、その席にこの柿が供されたのです。山陽たちはそのあまりの美味に驚くとともに、岡田家の庭にあるだけのたいへん珍しい柿だと聞き、各々の感興を詩文や画に託しています。この頼山陽遺愛の柿ですが、昭和63年、市立美術館の建設や庭園整備の際の移植で枯死してしまいます。しかし事前にこの柿の木から接木していた2世の木により現在も、当時の柿を実らせています。

 伊丹の歴史文化の中でもシンボル的存在である台柿を未来に継承していくため、伊丹市とともに、接ぎ木技術を有する東野農会の協力を得て、3世となる台柿を育てていくのが、この台柿継承プロジェクトです。昨年3月、庭内にある柿に接木し、さらにこの1月、別の大きな柿の木に接木をするため、一部を伐採しました。2~3月にかけて接木することにしています。昨年、接木した柿の木はしっかりとした枝が伸び(=写真)、秋には直径5センチ程の実が10個生りました。今後折に触れ、柿衞文庫の柿の木についてお知らせしてまいります。


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